いじめはいじめられる方が悪いのか?
こんにちは。パプキン(@pump_bloger)です。
今日はいじめについて書きます。オピニオン記事の練習。
いじめられっ子が努力する必要、なくね?
いじめの始まりはいじめっ子、ではないです。
場合にもよりますが、いじめられっ子に何かしらの「いじめたくなる要素」があって、そこにいじめっ子が反応するんですね。
しかもこの「いじめたくなる要素」は努力すれば改善できるものもたくさんあります。いじめられっ子が努力すれば、たいていのいじめは改善するんです。
よってその努力を怠るいじめられっ子が悪い。
とかよく聞きますけど、別に努力する必要なくね?
誰とでも仲良しとか、勉強ができるとか、そういう嫉妬からくるものでいじめられる人に「友達減らせよ!」「テストでわざと低い点数とれよ!」とか言いますか?言いませんよね?
それなのに輪の中に入りたがらないとか、勉強ができなくてダサいとかいうときは「和を乱すんじゃねえよ!」「勉強頑張ればいじめられなかったんだよ!」とか言うんですか?
「努力を怠るからいじめられるんだよ!」って言う人は、「自分はいじめられないように努力してるのに」って思いがどこかにあるんですよ。
自分みたいな努力もしなかったからいじめられたのに被害者面して擁護されてやがる、って考え方になってるんです。
でも嫉妬される人がレベルを下げる必要がないのなら、馬鹿にされる人がわざわざレベルを上げる必要も無いですよね。
というかそもそも、努力じゃどうにもならない場合もありますからね。
ただし、努力でいじめが改善する場合が多いのは事実です。勉強ができなくて馬鹿にされる人は勉強できるようになれば馬鹿にされない。シンプルにそうなります。
僕が言いたいのは「努力しないのは悪いことでない」「努力する義務はどこにもない」ってこと。「努力する意味はない」とは違います。
努力はしたければすればいいし、いじめられてもまだ努力したくなかったらそれはそれでいいんです。
いじめっ子は馬鹿
いじめっ子にいじめてる意識が無い場合って、けっこうあります。
本人はいじってるだけのつもりだったり、冗談のつもりだったり、周りのノリに合わせただけだったりします。「同窓会で自分をいじめてた奴に会ったら、あの頃はよく一緒に遊んだよなと言われた」みたいな話もたまに聞きますもんね。
それにいじめって、普通にいいこと無いですよね。
ちゃんとものを考えられる人なら、自分がいじめの加害者になることがどれだけ面倒でデメリットの多いことかが理解できると思うんですよ。道徳的にだめだからとかそういうの無しにして。
いじめのメリットって何でしょう。スカッとする?いじめ仲間ができる?暇つぶしになる?
割に合わないよね。デメリットの方が明らかに大きいです。
まぁこんな風に、いじめっ子は基本的に頭悪いんです。
物事を客観的に見れない、損得の計算ができない、感情的で短絡的、はっきり言って馬鹿です。
だからこそどうしようも無いんですね。馬鹿に善悪や損得の説明をしてもしょうがないし、そんなことでいじめは無くなりません。
いじめられるのはしょうがないんです。いじめってそういうものだから。
自分の人生に責任を持て!
いじめっていろんな面で「いじめってそういうものだから」としか言えないものがあります。
いじめっ子に立ち向かうのも、いじめられないよう努力するのも、転校するのもひきこもるのも全然アリです。何でもアリです。
今の状況=今までの思考・言動・行動 という話を聞いたことがあります。
自分が行動すればそれに見合った結果が付いてくるんです。自分の人生は自分のものなんだから、それに責任を持ってください。
なんか慣れないことを書きすぎて滅茶苦茶な文章になってしまいました。これ以上書いても更に迷走しそうなので終わります。
またいつか、もっと綺麗で分かりやすい文章で自分の意見をかけたらなと思います。
おわり。