時間とかいうクソ面倒臭いシステム、いらなくない?
こんにちは。妄想系ブロガーのパプキン(@pump_bloger)です。
みなさん、こういうこと考えたことありませんでしょうか。
時間とかいうシステム、いる?
ちょっと意味わかんないですよね。今日はこのお題で話を進めていきます。
この記事を読んでためになるということは恐らくないので、暇な人だけ読んでください。
「時間」って面倒臭いよね
例えば待ち時間。
友達が待ち合わせ時間を過ぎてもこない。本も持ち合わせてない。携帯も電池切れた。
こういうとき、ただ「おっせぇなぁ~(イライラ)」ってする時間が続くじゃないですか。
これどうにか短縮できねえの?ってことですね。はい。
どうにかして時間を潰すっていう発想とは違います。時間自体を短縮するんです。
つまり、動画のいらない部分をカットするように、ただイライラするだけの待ち時間を切り取ってしまえないものかと。
だって、何か直接的な働きかけも無いのに、ただ「待ち時間がある」だけでイライラが募るんですよ?これ、すごく無駄じゃない?
イケハヤさん風に言うと「まだ時間で消耗してるの?」って言いたいわけです。
じゃぁどうなるのが理想なのか?
さっきも「動画のいらない部分をカットするように」と言ったんですが、時間が過ぎるのはいいんです。ただ「時間がかかる」という概念を無くしたい。
「今すぐ友達来てくれねえかな」でなく、「友達来るまでスキップできねえかな」ってことですね。
これは「待つ」という行為以外でも同じ。例えば「宿題をする」だと
「宿題をしよう」と思ったら、次の瞬間には宿題終わってて、時計見たら時間が数十分くらい過ぎてて、シャーペンの芯がすり減ってて、頭疲れてて、お腹すいてて、宿題をしてる最中の記憶が蓄積されてる
っていう状態になるのが理想です。
もう気付いた方もいるでしょう。
時間を忘れて没頭できるようになりたいんです。
時間を忘れたときにこそ、時間というクソ面倒なシステムから解放されるんです。
これが僕の理想。
没頭するって難しいよね
没頭するってのは、時間を惜しまないとできないじゃないですか。つまり「一番やりたいこと」「これなら他のどんな時間を犠牲にしてもいい!」と思えることじゃないと駄目なんですよ。
そこまで本気になれることってある?っていうね。
僕はブログも書きたい、ドラムも練習したい、宿題やらなくちゃいけない、ご飯食べたい、っていう状態なので、どうしても「これだけに時間を注いでやる!」ってことができないんですよ。
全部、バランスよく、「一日これだけやろう」っていう目安をもってやっています。だから時間というシステムから抜け出せないんです。
何かいい解決策は無いものですかね。
はい。かなりやっつけ記事になりました。最近こういう記事ばかり増えてて申し訳ないです。
読んでくれてありがとうございました。おわり。