ここだけの話。

ここだけの話。

音楽、本、その他いろいろな記事を書いているつもり。

感じることだけが全て、感じたことが全て

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パプキン(@pump_bloger)です。今回はちょっとオピニオン的なものに挑戦。

 

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このタイトルを見てピンとくる人、どれくらいいるんでしょうね。フラワーカンパニーズ「深夜高速」の歌詞です。

全開の胸 全開の声 全開の素手で
感じることだけが全て 感じたことが全て

僕は最初、これ聞いて「ん?」ってなったんですよ。「感じること」って何だろう、この歌詞は何が言いたいんだろうって。

そんなこと考えてるうちに僕の頭の中で、この「感じることがすべて」と繋がるようなものが浮かんできたわけです。今回はそれを書きます。

 

 

「夢をかなえるゾウ」人が変われるのは行動したときだけ

ひとつ思い出したことが、とある本に載っていたこと。

みなさん、「夢をかなえるゾウ」って知ってます?

「夢をかなえるゾウ」は、水野敬也の大ベストセラーとなった自己啓発本です。

内容はいたってシンプルで、ガネーシャという関西弁の謎の神様が、ダメダメ人生を送る主人公に成功の秘訣を教える、みたいな内容なんですけど

これの終盤に、こんなセリフがあるんです。

今、自分は何かを学んで、知識を吸収して、成長してる思てるかもしらんけど、本当はな、成長した気になっとるだけなんや。

ええか? 知識を頭に入れるだけでは人間は絶対に変われへん。人間が変われるのは、『立って、何かをしたときだけ』や

 これ、「感じることだけが全て」ってことなんじゃない?

学ぶこと、知識を吸収すること自体にはあまりない。

実際に行動すること、知識を活用すること、経験すること、そのことに意味がある。だから「感じることだけがすべて」。

 

この本でも、というかあらとあらゆる自己啓発本で、行動の大切さは語られています。

大切というか、行動は必須です。だって行動する以外に成長する方法は無いんだから。

成長すること、何かを達成することが快感にならないと、努力は続かなくなってしまうんです。この快感も「感じること」のひとつですよね。

 

それと、これは自己啓発とは違いますが、西加奈子さんの「ふくわらい」にはこんな文章があります。

(プロレスは)音楽とおんなじ。若い頃に見ねぇと入ってこないもんなんだ。大人の頭は、理解しようとするだけで、体感しねぇから。

 森口廃尊というプロレスラーのセリフです。プロレスも音楽も、体感しないと「入ってこない」のだそう。

体感せず、頭で理解しようとすることを、まるっきり否定しています。

 

天才スティーブ・ジョブズも「感じること」を大事にしていた

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もうひとつ思い出したのが、若くして亡くなった天才スティーブ・ジョブズのこと。

恐らくテレビか何かで知ったことなんですが、スティーブ・ジョブズは西洋思想より東洋思想に傾倒していたそうです。

西洋思想がどちらかと言えば事実に基づく合理主義、東洋思想は直感を大事にする感覚主義なんだそう。「感じること」を大切にするのが東洋思想です。

 

スティーブ・ジョブズが仏教に出会い、生活に瞑想を取り入れるようになったのは有名な話ですね。瞑想ももちろん東洋思想。

瞑想すると、五感が研ぎ澄まされ、更に第六感まで磨かれるそうです。この第六感というのが直感というやつ。

瞑想で感覚を研ぎ澄まし、この世の真理にたどり着いたとされるのが仏教の開祖者、ゴータマ・シッダールタ、通称ブッダさんです。

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ブッダさんは西洋のように、論理的に「あれがこうであれがこうだから、あぁ!これがこうなってんのか!真理が見えたぞ!」とかやってたわけではありません。

瞑想中に「・・・!」です。閃きというか思いつきというか、やっぱり直感。完全に体で真理にたどり着いたのです。

その証拠に、「真理は言葉では語れない」「黙っていても真理を語っているときがある」ともよく言われます。

論理で考える西洋思想では絶対にたどり着けない境地。スティーブ・ジョブズが夢中になった理由もわかりますね。

 

とは言っても、ジョブズは西洋医学を受け付けなかったがために、癌で亡くなってしまったんですから、西洋の考えも馬鹿にはできませんけどね。

医療面では西洋の方が優れてるのかな、なんて思います。

 

才能=感覚 ではないのか?

最後、これは僕のちょっとした気付きです。

いろいろぼんやりと考えてた末に、ふと思ったんです。

 

才能ってのは、いかに感じる力があるかどうか、なんじゃないか?

 

例えば、僕が話しやすい「ドラム」の場合だと、よく「黒人のドラマーは上手い」「黒人はドラムに向いてる」って言われます。

ドラムのセンス=ほとんどリズム感みたいなもので、(もちろん鍛えることもできるんですが)生まれつきリズム感がある人は、初心者でもいいドラムが叩けるんです。

そこで黒人。黒人の音楽文化って「裏拍」を意識するんです。だから黒人には裏拍の感覚がしっかりと根付いてるんですよ。生まれつきリズム感があるんですね。

この「感覚がある」が「才能がある」に繋がっているわけです。

 

もちろんスポーツにおいても「才能がある」ってそういうことですよね?

誰から教わったわけでもなく、自然と綺麗で無駄のない動きができる「感覚」があるんです。運動神経ってやつです。

感覚派の人に「なんでそんなに出来るの?」って訊いても、「え?普通に」なんてしけた答えが返ってきます。頭で考えなくても出来るから、言葉で説明しづらいんですよね。

 

そして努力して才能を磨いている人も、やっぱり感覚。

コーチに正しいボールの蹴り方とか教わりながら、フォームを何度も確認しながら練習する。そしてその正しいフォームの感覚を体に教え込ませていくわけです。

「綺麗なフォーム」は理論ですが、「綺麗なフォームの修得」は感覚です。理論だけじゃ、頭で考えるだけじゃしょうがない。

才能も感覚も磨けます。

 

まとめ

結論。

「感じることだけが全て、感じたことが全て」

「経験しろ!体感しろ!お前にはそれしかない!」

っていうメッセージなんじゃないでしょうか。

 

僕が疑問に思っていた「感じること」というのは、感情や五感、それに第六感とかのこと。

更にこの「感じること」が夢をかなえるゾウの「行動と成長」でもあり、ブッダの「真理」でもあり、黒人の「裏拍」でもあり、「全て」であると。

 

うーん...解ったような、解ってないような感じがします。この「解ったような、解ってないような」感覚を含めた「感じること」が「全て」なんですね。

これが頭ではなく、感覚でピンとくるときが来たら、僕はまた成長できるのかもしれません。

 

冒険しすぎて、いつもよりずいぶん長く書いちゃいました。

おしまい。