「自分らしく生きよう」という言葉に違和感を感じる
どうもこんにちは。小さな体の普通のブロガー、パプキン(@pump_bloger)です。
今回は哲学...というほどのものじゃないかもしれませんが、僕がどうしても耳にするたびに違和感を覚えてしまう言葉について話します。
天才?小さな体の哲学者、中島芭旺
最近、図書館でこんな本を見つけました。
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 文学 > その他
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- 価格: 1,296円
中島芭旺「見てる、知ってる、考えてる」。
哲学者という肩書の中島芭旺くん。なんと10歳でこの本を書き上げたんだとか。
この本に頻繁に出てくるのが、この記事のタイトルにもある
「僕は僕であり続けたい」「自分らしく生きよう」
という趣旨の言葉。
いやぁ~、うん、いい言葉ですねぇ~。
僕も自分らしく生きていこうと思います。
うん。
・・・
「自分らしさ」ってなんだよ!!意味わかんねえよ!!!
「自分らしい」「自分らしくない」の境界線はどこ?
例えばこの芭旺くんの場合、「自分らしい」ってのは「周りの目を気にせず、自分のやりたいことをできている」状態のことを言ってると思うんですよ。
そうすると、逆に「自分らしくない」ってのは「周りに流されて、やりたいことを出来ていない、我慢している」状態ですね。
でもちょっとよく考えてください。
俺本当はミュージシャンになりたかったのに、けっきょく皆と同じサラリーマンになっちまった....
自分のやりたいこと我慢してる....俺って自分らしく生きれてないな....
なんでサラリーマンになったの?
だってミュージシャンで食っていくのは厳しいし...売れないし....
お金欲しいの?
そりゃぁもちろん。
自分のやりたいこと出来てるじゃん!!
こういうことです。
この人の場合は「ミュージシャンになりたい欲」より「安定した給料欲しい欲」を優先させたわけで、立派に自分のやりたいこと(自分の欲)を満たせてる、と言えるわけなんです。
というかそもそも、「周りに流されない人」=「個性が生きてる」 なのか?
じゃあ、「周りに流されちゃう人」「一目を気にする内気な人」=「個性を殺している」 なのか?
「周りに流されちゃう人」は「周りに流されちゃう」という個性があって、「内気な子」は「内気」っていう個性があるんじゃないのか??って話になりますよね。
人類は全員「自分らしい」
つまり何が言いたいかって言うと、その人の容姿や感情、行動、思考、その他もろもろいっぱい全部ひっくるめて「その人」なわけで、「自分らしくない人」なんて一人も存在しないということです。
「ミュージシャンになろう!」と志すのはその人らしいことです。
そこで「サラリーマンの方が安定するからな...」って思っちゃうところもまたその人らしいです。
更に「自分らしく生きれてないな...」って悩んじゃうところがまたその人らしい、ということなんです。
もちろん「え!?昔ミュージシャン目指してたの!?意外!!」っていうギャップも、「ギャップがある」というその人らしさです。
人類みな自分らしいんだから、「自分らしさ」なんて考える意味はないんです。そのまんまでいい。
「いや、そのまんまでいいわけがない!変わらなきゃ!」もその人らしさなんだから、「そうだね、そのまんま貴方らしく変わりなさい」って言えちゃいます。もうなんでもアリです。
キリがない話なので頭こんがらがりますね。今回はこれでおしまい。
ありがとうございました。