現役中学生の考える、集団いじめの発生源とその恐ろしさ
最近、クラス内で陰口を聞くことがあります。受験が近くなってみんなピリピリしてるんですかね。
本当に小さなことですし、いじめにはなっていないので僕はスルーしていますが。
陰口というのは、言い合う人が増えるほど調子に乗るので、本当に鬱陶しい。
というわけで、今回は僕のいじめに対する考え方を記事にしていきます。
たいした話ではないですが、はりきってどうぞ。
いじめの発生源はどこ?
はじめは陰口から始まります。調子乗っててうざいとか、いい子ぶってるとか、顔がかっこ悪くてダサイとか、しょうもないことばかりです。
その陰口の正体はコンプレックス。正確には「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」というものがります。嫉妬だったり、人を見下すためだったり。
そのうち仲間の中で共通の話題(陰口)が広がって、だんだんと表面化していきます。
そんな風にして、陰口が暴行や仲間外れなどの形になったのが、いじめですね。
集団いじめの凶暴さ
小説作家・伊坂幸太郎の「チルドレン」という作品の中で、こんなセリフがあります。
子供のことを英語でチャイルドと言うけれど、複数になるとチャイルズじゃなくて、チルドレンだろ。別物になるんだよ。
的を射てますね。チャイルドとチルドレンは本当に別物です。
精神年齢が幼ければ幼いほど、芯の無い人間ほど、集団で粋がるものです。普段何も言わない人でも、同調してくれる人間がいるだけで平気で悪口を言うようになります。
同じく伊坂幸太郎の、「グラスホッパー」という作品ではこんなセリフが。
どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。 気づけば飛びバッタ、だ。
密集した環境で育ったトノサマバッタは「群生相」と呼ばれ、色は黒く飛翔力は高くり、気性が荒く攻撃的なバッタに成長するそうです。
人間も同じように、密集して暮らせば凶暴になる、と。
集団いじめは責任が問われにくく、エスカレートする傾向にあります。「みんなも言っている中だったら悪口を言ってもいい」という歪んだ安心感があるのです。
そして誰かひとりが「終わりにしよう」と言っても止まらない、始まりやすくて終わりにくいのもまた集団いじめ。
大人数であれば大人数であるほど、いじめは残酷です。
集団いじめは無くならないのか?
結論から言うと、世界からいじめを撲滅させることは出来ないと思います。
人間は集まらないと生きていけません。集団からは、大なり小なりいじめは起きます。
陰口を言う人は本当にどこにでも居ます。陰口を叩いたことがない人の方が珍しい。
ZAZEN BOYSの「自問自答」という曲の歌詞にはこんなものが。
陰口叩いて溜飲を下げとる奴等や
徒党を組んで安心しとる奴等や
・・・(中略)
くりかえされる諸行無常や
陰口を叩いている奴、徒党を組んで安心してる奴、それらはみんな変化し続けるもので、いつまでも同じように存在するわけでも、永遠に無くなるわけでもない。
目の前のいじめが無くなることはあるかもしれないが、世界からいじめを撲滅させることは難しい。いつか終わるし、いつか始まる。繰り返されるものだと。
自分にできることは目の前のいじめを終わらせること、正確に言えば「終わらせようと努力すること」です。
永遠に続くいじめなんてありません。自分にできる精一杯のことをして、あとはどっしりと構えましょう。
引用ばかりの記事になってしまいましたが、今回はこれでおしまい。