愛とは、人生とは、大人になるとは?西加奈子『こうふくあかの / みどりの』
恋愛の幸せと苦しみを描く天才、西加奈子
西加奈子は、自称読書家である僕の中でも、トップレベルに好きな作家です。
西加奈子の描く物語にはいつも愛がある。というと、陳腐で軽くて気色の悪い言い回しになってしまいそうですが、そんな巷に溢れている携帯小説のような愛ではありません。
西加奈子の作品に現れる愛は、まさに山よりも高く、海よりも深いもの。
苦しみや悲しみ、息苦しさを表す意味での愛も、幸福感に満たされた愛も、すべて詰まった愛。
恋すること、愛することの素晴らしさと危うさ、そんな表裏一体の存在を見事に描き上げれるのが西加奈子なのです。
...とは言ってみたものの、やはり携帯恋愛小説的な陳腐さを感じる文章になってしまう。
そもそも恋愛というものに、恋の幸せと苦しみはつきものですしね。別に西加奈子だけがやっていることではない。というか、恋の二面性を描かない恋愛作家の方が少ない。
だとすれば西加奈子の文章から感じる独特の愛おしさは、一体どこからくるものなんでしょう。僕はいまだにそれが分かりません。
感じたことをぴたりと言葉で表現できないもどかしさと同時に、文章を仕事にする人の凄さを感じます。
「こうふくあかの」と「こうふくみどりの」
さて、本題に入ります。今回紹介する本は2冊。
「こうふくあかの」と「こうふくみどりの」です。
これらは上下巻というわけではないし、どちらかが続編というわけでもないし、シリーズものとも言い難い。
上下巻のようで、実は内容は違っていて、でもどこかで繋がっている。
作者である西加奈子自身が、この2つの作品についてこのように言及しましたが、まさにこの通り。
本当に、それぞれの物語には何の接点もないです。いや、ほんと。タイトルは似せてるけどね。
主人公の性別、年齢、キャラクター、境遇....何もかもバラバラ。作中にもう一方の本のキャラクターがちらっと出てくる、なんてことすらない。
つまり、どちらか片方読むだけでもいい作品です。片方だけでちゃんと完結するから、安心してほしい。
『こうふくあかの』
お前は誰だ。
俺の子ではない、
お前は誰だ。
39歳。男は、妻から妊娠を告げられた。
それが、すべての始まりだった。
30年の時間が流れた。
計算高く、いつも人を見下している、いわゆる「いやな奴」が主人公の物語。
もうちょっと詳しいあらすじがあってもいい気がしないでもないですが、ネタバレがいやな人もいるでしょう。僕もその一人です。
ストーリーを知りすぎると、展開が予想できてしまって、新鮮味が無くなるんですよね。ということでネタバレが欲しい人は、各自でネット検索してほしいです。
「人生は思い通りにならない」ということが分かる物語でした。
妻の妊娠をはじめ、順調な人生を歩んできたはずの男に訪れる「計算外」の事々。それらにぶち当たったとき、男の人生はどう転がっていくのか。
事実は変わらないが、それを受け取る側の見方によって、現実は変えることができる。事実と現実は違う。現実は主観の産物である。そんなことを意識しながら読みました。
この男の人生の転がり具合もなかなか見物ですが、何よりも素晴らしいのが、ストーリーが一点に集まってくる構成。
読めばわかりますが、物語の合間合間に、物語とは関係の無いプロレスの描画がある。
そのふたつに分けられたストーリーが、徐々に近付いてきて、最後にある一点で繋がってしまう。
見事としか言いようがない。ハッとさせられること間違いなしです。
『こうふくみどりの』
お前んち、いっつもええ匂いするのう。
おばあちゃん、夫(おじいちゃん)失踪中。
お母さん、妻子ある男性を愛し、緑を出産。
藍ちゃん、バツイチ(予定)、子持ち。好きになったら年齢問わず。
桃ちゃん、4歳なのに、まだおっぱい吸いに来る。
辰巳緑、14歳、女未満。初恋まであともう少し。
複雑な家族を持つ、思春期を迎える少女が主人公。
「少女」から「女」になる、一歩大人に近付く、その小さいけれど大きな変化を描いた物語です。
「小さいけれど大きな変化」というのは、「99から100への変化ではなく、0から1への変化」というと分かりやすいかも。女になったところが新たなスタートだと考えると、「-1から0への変化」が一番近いかもしれません。
主人公が中学生でも容赦ない、ストーリーの重さ。それも世界滅亡なんていう極端な重さじゃなくて、もっとじめじめと、じわじわと胸を締め付けるような重さです。
そして魅力溢れる人間臭いキャラクターもよかった。そのキャラクター達に、重さに負けないくらいの強さがある。主人公が少女(女ではない)ということもあって、女の強さがよく表れていたと思います。
そう、女は強い。世の中の男どもは女をなめてはいけない。
決して悲劇にはさせない。そんなガッツの含まれた物語でした。
「こうふくあかの」は、愛することの本当の意味を問いかけるような作品でしたが、それに対してこの本は、「愛情の形」を問いかけるような作品でした。
さきほどから言っているストーリーの重さも、原因はやっぱり愛。愛は一歩間違えれば悲しみを産む。それを実感させられます。
物語の中では、主人公緑の初恋をはじめ、同級生からお婆ちゃんに至るまで、さまざまな愛情の形が描かれています。それぞれがそれぞれの幸福、不幸に繋がっていることを感じてほしいです。
どちらか一方だけ買うとしたら「こうふくあかの」
お金の都合で、時間の都合で、いっきに買うと読む気失せるから...
いろんな理由があると思うが、「とりあえずどっちか一方だけ読んでみよう」って人はけっこういるだろうと思います。
そんな人に僕がおすすめするのは、「こうふくあかの」です。
確かにどっちもおもしろいので、これは好みの問題も大きいと思います。
ただ、「こうふくみどりの」はオチがふわっとしているというか、オチらしいオチがない。読み終わっても「なんとなく悪い気はしない」という感じです。
それに比べると「こうふくあかの」は、オチがすっきりとしている。読み終わったあと「あぁーよかった」とはっきり思えるのです。
「こうふくあかの」のほうがおもしろい、と一概には言えませんが、とにかく僕はこっちが気に入りました。
できればみんなの意見も聞いてみたいですね。
おわり。