ここだけの話。

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音楽、本、その他いろいろな記事を書いているつもり。

ブログ始めて3カ月経ったので、始める前と比べて変わったことをまとめてみた

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記念日とかそういうのに無頓着な僕。正直、全然気付いていませんでした。

ブログの管理画面でいろいろいじくってる時に、「ブログ開設日」という文字を見つけて唖然としました。もう3カ月も経ったのかと。

時間が経つのは早いですね。

 

「これ何かの記事ネタにできないかなぁ」と考えてできたのがこの記事。

ブログを始める前と後で僕が変わったこと、ブログのメリット、デメリットを書いていこうと思います。

特に目新しいテーマでもなく、内容に特別面白味があるとも言い難い。でもまぁ、別にいいよね?みんな読んでくれるよね?

 

ブログを始める前と比べて変わったこと

①文章の質・執筆スピードが上がった

僕は小さいときから本を読むのが好きで、そのおかげというわけか、学校の中でも作文は上手に書けるほうでした。いや、書ける方だと思っていました。

確かに学校で作文はやらないわけではないが、そんなの書く機会は滅多にない。夏休みや冬休みの宿題、校内で行われた弁論大会、それに先生に怒られたときの反省文、そのくらいです。

年に数回、ちょこまかと作文を書くだけ。そのときだけ僕は、みんなよりちょっと早く書き終わって鼻を高くしていたのでした。

 

そんな「作文は得意だし~」なんて思っていた僕は、甘い気持ちでブログを始めました。それが苦痛のはじまりはじまり。

文字数が全然続かない。時間を削りに削って書いた文章が1000文字ちょっとしかない。これは作文用紙3枚に匹敵する。

そんな僕を横目にとあるブロガーは「一記事2000文字は絶対に書くようにしている」なんてぬかしおる。ってやんでぇ!べらぼうめぇ!

これではほとんど毎日「なつやすみのおもいで」を書かされるようなもの。僕には耐えられないと思いました。そんなに書くことないしネタがっても内容が追い付かない。ここは地獄か。エンマ大王はどこだシバくぞ

 

と、こんなことを思っていましたが、今ではすっかり慣れてしまった。

一記事2000文字も一応達成できています。というか普通に書いたらだいたい2000字は越えるようになってきました。

もはや一般常識。信号が青のときだけ渡るのと同じように僕は2000字以上の記事を書くようになったのです。

追記。最近では文字数とかほとんど気にしなくなりました。

1000文字ちょっとの内容スカスカの記事もたまにあります。ごめんなさい。

 

そして、当然ながら文章の質も伸びてきました。いまだに無個性で似たようなネタばかり乱用する文章ではありますが、読めないことはないでしょう。

 

②メモをつけるクセができた

ブログをするからには、記事ネタを自分で探さなければいけません。

ブログ開設当時の僕がネタに困ったことは予想ができるでしょう。否定するまでもなくその通りでした。

なんたって、そのときの僕はパソコンに向かってから「今日は何を書こう」と考えていた。そして書くネタが思いつかず、けっきょくやる気を無くす、その繰り返しでしたね。

何より「あ、これ記事にできそう」と思ったことがあっても、十分後には忘れていた。僕はチンパンジーであった。

 

そんな僕が今大事にしていることが、メモです。

メモといっても、ポケットに忍ばせるようなオシャレなものじゃない。A4コピー用紙を机の上に置いて、記事ネタを思いついたときに即座にそこに殴り書きするのです。

記憶力に自信がありながら物忘れをし、物忘れをしたことすら忘れるから「メモしなくても覚えられる!」なんて考えていたのが以前の僕。完全にボケジジイ。

やはり忘れるものは忘れる。ブログネタというアイデア系の事柄なんか、なおさらのこと。

 

そんな悩みから始まった僕の「メモ管理術」は、ブログネタだけにとどまりませんでした。メモすることの便利さ、快適さに今ごろ気付いた僕は、ありとあらゆるものをメモ化していきます。

一日の計画、今月の目標、謎の計算式、「いつかやってみたいことリスト」、「モテるためにやるべきことリスト」等々のメモ用紙にまみれ、僕の机の上は大変なことになってしまっています。これからはちょっと控えようと思う。

  

③ネットの無意味さを知った

ネットで情報提供している僕が言うのもなんですが、ネットの情報に価値をおいてはいけません。

偽情報が多いとかそういうのもそうなんだけど、「ネット情報で何もかも分かった気になる」という人が凄く多い。

今じゃネットは情報の宝庫のように考えられていますが、ネットで得た情報ほど価値のないものはない。

ネット検索でヒットした全ての情報よりも、一冊の本に書かれてある情報の方が、圧倒的に深く信頼性のある情報を手に入れられる。ネットは表面的な知識しか得られないと僕は思っています。

 

この理由のひとつに、「簡単でわかりやすい内容の方が見られやすい」というのがあります。

あまりにも難解で専門的な知識を披露してしまうと、ユーザーは離れやすい。そんな理由で僕を含む多くのネットユーザーは、できるだけ簡単でかつ注目を得やすい情報だけを流すようになる。

その結果、本気で学びたいものがある人は本を買うなり大学に行くなりして、ちょっと内容に興味がある人は手始めにネット検索、という図式が出来上がる。そしてそのネット検索勢の中で粋がってる奴等、こいつが「ネット情報で何もかもわかった気になっている」奴等です。

 

僕もちょっと前までは、何でもネット検索して知識を蓄えた気になっている奴の一人でした。

ブログを始めてからやっと、情報の価値というものが分かってき始めた気がします。

「文章 テクニック」で検索するより、文章テクの本を読んだほうが、抱負な情報を短時間で頭に叩きこむことができる。このようなことを痛いほど実感しました。

ネットの情報は、所詮寄せ集めのタダ情報。タダほど怖いものはないといいますが、タダだからこそ審査されない、タダだかろこそ気軽に流せる、そのレベルの情報だったのです。

 

もちろん、ネットが悪いというわけでも、ネットの情報全てを否定するわけでもない。

ネットは手軽な情報収集ツールです。世界中の情報を瞬時にキャッチできると考えれば、やはりそれは世界一のツール、情報の宝庫と言えるのかもしれない。

要するに、「専門的に学びたかったらお金かけてでも勉強しろよ」という話。「美味しい居酒屋どこ?」的な情報はネットで十分でしょう。

情報の価値を考えて、本気で得たい情報は買ってでも得る、というのが正しい情報との付き合い方だと思います。

 

④物事の捉え方が変わった

僕がブログを始めたばかりの頃、全然字数を稼げなかった、ということは前述しました。

ではなぜ書けなかったか、ということですが、僕の好きなものについて紹介するとき、「どう言葉で表現すればいいか分からない」という状態に陥ってしまっていたからです。

自分の好きなこととは、楽しい、面白い、気持ちがいい...などのプラスの感情がわき出てくるもののこと。しかし、ただひたすらに「この本は面白い本です!」「この音楽ちょうかっこいい!」を連呼してもしょうがない。それはお世辞にもいい文章とは言えない。

そこで考えるべきなのが、「それ特有のよさ」です。「この本はこういうところが変わっていて面白いです!」「この音楽はこんなところが他の音楽より違う!」というように、もっと具体的に感動を伝えられること、それができてこそ書評、音楽ブログは書くことができます。

 

本を読むとき、音楽を聴くとき、散歩して風景を眺めるとき...こういうときに、「どうすればこれの良さを伝えられるだろうか?」ということを常に考えられるようになった。何も考えず頭すっからかんで生きてきた僕の革命ですね。

とは言うものの、考えるのとわかるのは別物。僕の乏しい語彙力では、僕の感じた感動を伝えられないこともしばしば。

というか、感動を完全に再現することはもはや不可能だと思います。

感動は各々の手で、五感で、ときには第六感までフルに使って感じとるものだ!決して勉強や思考の先にあるものではない!

 

...話がそれたのでここで終わりにします。僕の文章の質はやっぱり変わっていないかもしれない。

ちなみにこれで3300字ちょい。文字数だは進歩しているようで安心。

 

おわり。