ここだけの話。

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音楽、本、その他いろいろな記事を書いているつもり。

【アドラー心理学】劣等コンプレックスと優越コンプレックス

コンプレックスには種類がある

「コンプレックス」という言葉には、大きく分けてふたつの意味があります。

 

ひとつめが「劣等コンプレックス」。

自分が人より劣っているという劣等感を感じ、落ち込んでしまっている状態です。自己否定、自己嫌悪、嫉妬などのことですね。

ふつう「コンプレックス」というと、こっちのことを指します。

 

ふたつめが「優越コンプレックス」。

自分は人より優れているという優越感に浸り、自分の中に隠れている劣等感を誤魔化している状態です。

よく自慢したり、人を見下したりする人は、この優越コンプレックスに陥っている人が多いです。

 

日本では「劣等感 = コンプレックス」だという認識が強いですが、それは間違い。

劣等感とコンプレックスは別物であり、また劣等感と劣等コンプレックスですら実は違うものなのです。

 

「劣等感」とコンプレックス

アドラー心理学では、この「優越コンプレックス」と「劣等コンプレックス」は、どちらも同じ「劣等感」からくるものとしています。

 

「劣等感 = 自分が劣っていると感じる」こと。

劣等感からネガティブになり、自己嫌悪に陥れば「劣等コンプレックス」。

劣等感から自分を誤魔化すために、自慢ばかりするようになれば「優越コンプレックス」。というわけです。

 

またアドラーは、「劣等感は悪いものではない」と説いています。

夢や目標に向かい、自分の短所を克服し、成長するためのエネルギーになるのもまた劣等感だからです。

大切なのは劣等感をコンプレックスに変えて、塞ぎこんでしまわないことですね。

 

「劣等コンプレックス」と「優劣コンプレックス」を一括りにできるワケ

ここからは少しアドラー心理学とは少し別の話。

 

例えば、足が遅いことがコンプレックスなA君。

「足が遅い自分は、足が速いB君より下の人間だ」という潜在意識が働いています。

また、足が速いことを自慢するB君。

B君にもまた、「足が速い自分は、足が遅いA君より上の人間だ」という意識があります。

 

もう分かるでしょう。A君もB君も、劣等コンプレックスも優越コンプレックスも、その奥にあるものは同じなのです。

コンプレックスはいずれも「~できる人は上」「~できる人は下」という意識から生まれます。仏教的にいうとこれも執着のひとつ。

そして足が速いB君も、足が遅くなると途端に劣等感が芽生えます。あっという間にA君と同じ状態です。

劣等コンプレックスを持つ人も、優越コンプレクスを持つ人も、基本的には同じような人間だと思ってください。

 

コンプレックスを乗り越えよう

「成長するためのエネルギーになるのもまた劣等感」と前述したように、自分が人より劣っていると感じれるのも、ひとつの強みだと言えます。

人間は成長する生き物だ、ということはアドラー心理学で何度も言われていることです。コンプレックスは絶対に乗り越えられます。

 

一番理想は人と人を、人と自分を比べないことですね。これは仏教でいう「執着を捨てる」ことの第一歩でもあります。

くよくよするのは止め、優越感に浸るのは危険だと自覚し、幸せな人生を掴みとってください。

 

おまけ: もっと詳しく知りたい人は...

岸見一郎, 古賀史健の「嫌われる勇気」がおすすめ。

ここではほんの一部だけ紹介した、「アドラーの教え」の真髄を、対話形式のストーリーに沿って、わかりやすく学ぶことができます。

 

おしまい。