人にしたことは自分に返ってくる
「人にやさしく」は善?偽善?
学校の教育では、道徳的な考え方として「人にはやさしくしましょう」と教えられます。
これは日本だけでなく、ほぼ世界中の国で教えられていることだと思います。
反抗期だった僕は、その教えに対してこう思っていました。
「それ嫌われるのが怖いだけでしょ??wwけっきょく自分が大事なんだーww」
クソガキですね。
しかしこの考え、あながちハズレでもない。
人にやさしくするのは自分のため。その通り。
誰も人のためとは言ってない。自分のための「人にやさしく」なのだ!
やさしくすれば、やさしくされる
やさしくしてくれる人には、恩返ししたくなる。これは当然のことです。
僕も普段から周りの人のサポートを心掛けているつもりです。その割には友達が少ない気がしないでもないですが。
ここで注意してほしいのは、「見返りを求めるのは間違い」ということ。
そもそもこの理論は「したくなる」「されやすくなる」レベルの話で、相手にした相応の対応がそっくりそのまま数学的に返ってくるわけではないのです。
それなのにお門違いにも見返りを期待してしまうとどうなるか。
「俺はしてあげたのに相手は何もしてくれなかった!」
「頼んでもいないのに干渉してきて謝礼まで求めてきやがった!」
喧嘩になるだけ。
見返りを求めると、見返りがないだけで嫌な気分になるし、見返りを求められる側も反発したくなるというもの。
期待すればするほど得られない、皮肉なことになります。
「都合のいい人」になってはいないか?
もうひとつ、注意してほしいのがこれ。
相手を想い、まっとうな喜びを与えてあげられるのが「やさしい人」です。
「パチンコに行きたいらしいのでお金を貸してあげる」というような、相手をひねくれた快楽に誘うの人は、ただの「都合のいい人」です。
パチンコに行くお金をあげたら、たしかにギャンブル依存の彼は喜ぶでしょう。
しかし、本当にその人にことを想うなら、パチンコをやめさせる努力をするべきです。
大損してイライラするより、後者の方が圧倒的に人生を豊かなものにしますから。
「相手の目先の快楽」ではなく「相手のこれから先の人生の幸せ」を願ってあげましょう。
最後に - 最短で最大の効果を生み出す「やさしさ」
一番手っ取り早いやさしさといえば、なんといっても「笑顔でいること」です。
笑顔で人は元気になります。エネルギーがわいてきます。感情は伝染し、連鎖し、より多くの人を元気付けられます。
そして、ありがた迷惑になることがないのも、笑顔の魅力。笑顔がうれしくない人などいないのです。
僕も明日から恐い顔やめます。
おわり。